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応仁の乱とは?、わかりやすく要点だけを解説、、、

応仁の乱とは?、わかりやすく要点だけを解説、、、

本屋さんに行くとたくさんたくさん本が積んでありました。。。
「応仁の乱」
どうしたのかなと思って調べてみたら売れてるんですね。。。

応仁の乱、小学校、中学校で習いましたね、でも名前は聞いたことあるけどよくわからない!
本を読む前に、応仁の乱の背景について一緒に調べておきましょうね。

 

応仁の乱

1467年から1477年まで約11年間続いていました。
長い長い戦いでしたね!

1467年が応仁元年だったことから応仁の乱と言われています。。
「人よ虚しい応仁の乱」って1467年を覚えました、懐かしい!

 

応仁の乱が起きた時代

応仁の乱とは、ますは、いつの時代のことか、まず見ていきましょう。

応仁の乱は、室町時代に起きた長い長い戦いでした。
そうそう、室町時代とは、足利尊氏が開いた鎌倉時代の次の時代と言えば分かりますよね、
金閣寺や銀閣寺が作られたのも室町時代です、、、!

 

もうすぐ戦国時代

この時代の後に織田信長や武田信玄が活躍する戦国時代がやってくるわけですが、私は、戦国時代に突入するきっかけになった戦いだと思っています。

それは、元々応仁の乱が将軍の後継争いが原因だったわけですが、この戦いをきっかけにさらに室町幕府が弱体化して統制がとれなくなってしまったからです。

どの時代も幕府が弱体化して統制がとれなくなって倒れるわけで、室町幕府もやはり!

 

誰と誰の戦いなのか?

細川勝元 ほそかわかつもと(東軍)
山名宗全 やまなそうぜん(西軍)
この両者が大将!

そもそもは、
8代将軍足利義政の後継争いが原因で、そこに細川勝元、山名宗全の勢力争いが絡んで、全国に争いが拡大していったんですね。。

11年も戦って(ダラダラとですが)なんとどっちも勝っていない引き分け!

 

応仁の乱はなぜ良く知られていないのか

名前は誰でも知っているのは内容は???という方が多いのはどうしてなのかを考えてみると、、、
・勝者が誰もいないから
・何も生み出していないから
・敵味方がコロコロ変わってわかりづらいから
・11年といってもダラダラやっていてややこしいから
・次の戦国時代が人気だから影が薄くなったから
こんな理由からでしょうか!

 

応仁の乱がもたらしたもの

戦場の中心となった京都は壊滅的な被害、重要な寺社が焼かれて復興に多額に費用と年月がかかった。
戦国時代の原因となったこと。

簡単に応仁の乱をご紹介しましたが、より詳しく知りたい方を本を読んでみてはいかがでしょうか?

敵味方がコロコロ変わったり、背景が複雑なので楽しめると思いますよ!

 

応仁の乱 – 戦国時代を生んだ大乱

呉座 勇一 (著)

成功例の少ない「応仁の乱」で18万部。日本史研究に新たなスター誕生か

日本史上の大トピックとされていながらも、全体像を捉え難い「応仁の乱」。そんな題材を、既成史観の図式に頼ることなく、絶妙なバランス感覚で丁寧に整理した新書がヒットしている。NHK大河ドラマの歴代最低視聴率記録を長年保持していた『花の乱』(1994年)を始め、「応仁の乱」を扱ったものに成功例は少ないので、異例の現象だ。

「『応仁の乱』をテーマに選んだのは著者ご本人です。地味かもしれませんが名前を知らない日本人はおらず、そういう意味では歩留まりがよい。大ヒットはしないまでも絶対に失敗はしないテーマという認識でした。中公新書は『歴史ものに強い』というアドバンテージもありますし後は“著者力”で突破だ、と」(担当編集者の並木光晴さん)

古くは網野善彦さん、近年では磯田道史さんなど、日本史研究者には、時に、学識の確かさと読み物としての面白さを両立させるスター学者が登場する。36歳とまだ若い本書の著者は、次代の有望株だ。

「扱う題材の全体像をはっきりと理解し、その上で、読者に伝える情報を取捨選択できる。30代半ばでのこの筆力には、とても驚かされました」(並木さん)

中公新書の主な読者層は50代以上。しかし本書の売れ行きの初速はネットなどと親和性がある30代・40代が支え、そこから高年齢層に支持が広がった。これは、新たなスター誕生の瞬間かもしれない。

 

マンガ 日本の歴史〈22〉王法・仏法の破滅―応仁の乱

石ノ森 章太郎 (著)

西暦一四六七年五月二六日、京に始った応仁の乱。以後十数年に亘り、西国のほとんどの地域を戦火に巻き込み、栄華を誇った京の都を焦土と化したこの大乱を新視点で把える。本作品は一九九七年度アジア

 

応仁の乱

応仁の乱
応仁元年 – 文明9年
1467年 – 1477年
場所:京都
結果:和睦(西幕府が解体され、東幕府が存続)
東軍
細川勝元
約160,000(諸説あり)
西軍
山名宗全
約110,000(諸説あり)

応仁の乱(おうにんのらん)は、室町時代の応仁元年(1467年)に発生し、文明9年(1477年)までの約11年間にわたって継続した内乱。

室町幕府管領家の畠山氏、斯波氏の家督争いから、細川勝元と山名宗全の勢力争いに発展し、室町幕府8代将軍足利義政の継嗣争いも加わって、ほぼ全国に争いが拡大した。明応2年(1493年)の明応の政変と並んで戦国時代移行の原因とされる。
十数年に亘る戦乱は和睦の結果、西軍が解体され収束したが、主要な戦場となった京都全域が壊滅的な被害を受けて荒廃した。

応仁元年(1467年)に起きたことから応仁の乱と呼ばれるが、戦乱期間の大半は文明年間であったため応仁・文明の乱(おうにん・ぶんめいのらん)とも呼ばれる。
出典:ウイキペディア

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